西の魔女が死んだ

小説 - 映画
西の魔女が死んだ

この本を読むことになったきっかけ

 

初めて読んだのは私が中学生の時です。

 

夏休みの宿題で読書感想文を書くことがあり、書店で「読書感想文向け文学」というコーナーが設けられていて、その筆頭に飾られていたのを見つけて読んだのがきっかけでした。

結局その時は違う本で感想文を書いたのですが、2008年に実写映画化されたのを知りその頃にまた読み直してみました。

 

■本のあらすじ(ネタバレ注意)

 

主人公まいの元におばあちゃんの訃報が入ります。お母さんと一緒におばあちゃんの家へと向かう途中、2年前におばあちゃんと暮らした日々を回想するところから話が始まります。

不登校になったまいは、お母さんのすすめもあってイギリス人のおばあちゃんのところでしばらく生活する事になりました。まいのおばあちゃんは超能力を持つ家系に生まれた魔女でした。

「私も魔女になりたい」というまいに、おばあちゃんは魔女修行を施します。

 

毎日規則正しく早寝早起きをし、午前中は家事や植物の世話、午後は読書と学校の勉強。なんでもない事だけど、これが魔女修行の基本だとまいに教えます。

 

おばあちゃんに教わったとおり、まいは規則正しい生活を続け、ジャム作りをしたり、洗濯機を使わないで洗濯物を洗ったり、植物について学んだりしました。

 

まいはおばあちゃんに「人は死んだらどうなるの?」と尋ねます。

 

おばあちゃんは「死ぬという事は、使い古した体から魂が抜けて、旅を続ける事だと思います」と答えました。「おばあちゃんが死んだら、魂が体から離れた証拠を見せてあげましょう」と約束しました。

 

ある日、鶏小屋が襲われる事件が発生し、ご近所さんのゲンジさんに小屋を直してもらうことになりました。

 

まいはゲンジさんに対し激しい嫌悪感を持っており、「あんな奴、死んでしまえばいいのに!」とおばあちゃんに当たってしまいます。

 

まいの口から出たゲンジさんへの罵倒に、おばあちゃんは咄嗟に平手打ちをしてしまいました。

やがてまいは、単身赴任しているお父さんのところに引っ越す事になり、おばあちゃんの元を去ります。頬を打たれて以来、おばあちゃんと気まずい仲になってしまったまいは、それを解消させる事ができないまま引っ越してしまいました。

 

おばあちゃんの家に行き、亡くなったおばあちゃんを目の当たりにして、まいはどうして良いか分からなくなります。その時、汚れたガラスに書かれた文字を見つけました。

 

『ニシノマジョカラ ヒガシノマジョヘ オバアチャンノタマシイ ダッシュツ ダイセイコウ』

 

それを見たまいは、おばあちゃんからの愛を実感し「おばあちゃん、大好き」と泣き叫びました。

 

■感想、意見

 

児童文学ですので、読みやすい文章で内容も短いのですが、非常に内容が濃いです。
学校の人間関係に疲れてしまったまいが、おばあちゃんから学ぶ「魔女の心得」は「人の生き方、心の在り方」です。

 

まいは感受性の強い思春期の女の子ですが、社会の荒波にもまれている大人でも、おばあちゃんの教えは心の奥に染み渡ると思います。

 

物語の中で「死んだらどうなってしまうのか」という事をまいが疑問に持ちます。これってどんな人でも疑問に思う事ですが、特にまいくらいの思春期の子は考えてしまうものなのではないでしょうか。

 

このような質問に対し、私たち大人はまいのお父さんと同じように「死んだらそれまでだよ」と答えてしまうのではないでしょうか。私は誰かに同じことを聞かれたら、きちんと答える自信が無いです。

 

しかし、まいのおばあちゃんはさすが魔女と言うべきか、言葉を選んで優しく丁寧に質問に答えてくれます。

 

作中で語られるおばあちゃんの死生観は、おばあちゃん自身のこれまでの生き方によって導き出されたものだと思いますが、非常に腑に落ちる優しい回答だと感じました。

 

本作はまいと同い年くらいの中学生に向いている本ですが、私は子供より大人の方が読んでみて感じる部分は多いのではないかと思いました。

 

それは、まいの気持ちも分かるし、お父さんとお母さんの気持ちも分かるし、少しだけどおばあちゃんの気持ちも察する事が出来るからです。

 

子供の頃に読んだという人はもう一度読んでみると、違う感想が出てくるかもしれません。

 

■本を読んでいて自分が初めて知ったモノ、場所、言葉など

 

本作はおばあちゃんとの生活を通して、生きる上で大事なことを学んでいく話ですが、それ以外にも魅力があります。

全体を通して、出て来る料理が美味しそうなのです。

 

共同生活初日におばあちゃんとお母さんと一緒に作ったサンドイッチ。

裏山で収穫した野いちごで作る砂糖たっぷりの大量のジャム。

産みたてホヤホヤの新鮮卵のスクランブルエッグ。

おばあちゃんが昔おじいちゃんに作ったという甘いおかゆ。

お父さんが来た時に作ってくれたキッシュ。

 

どれも詳しいレシピが登場するわけでもないのですが、物語の持つ雰囲気のせいか、とても美味しそうに見えてきます。スクランブルエッグなんてただの洋風卵焼きなのに、読み進めるうちに食べたくなってくるのが不思議です。

 

こういった料理が登場するたびに「あぁ、これはジブリでアニメ化してくれないかな」とふと思ってしまいました。

 

「ジブリ飯」という言葉が生まれるくらい、スタジオジブリ作品の食事シーンはどれも秀逸ですが、きっとジブリでアニメ化されたらこれらの料理も一層魅力的に描かれるんだろうなとワクワクしました。

 

この中で、おばあちゃんが作ったという甘いお粥って恐らくオーツ麦で作る『ポリッジ(粥)』のようなものだと思います。

 

何年か前に日本でもブームになりましたが、オーツ麦(オートミール)を煮込んでシロップやフルーツを入れて甘くして食べる朝食メニューです。

 

日本の粥は出汁や塩で味を調えますので、甘い粥って馴染みが無い分気になってきますね。

 

■本の中で気になった言葉、セリフ 1シーン

 

物語の中で、お父さんからの引っ越しの話を聞いた夜に、まいがおばあちゃんに不登校になった理由を打ち明けるシーンがあります。

 

クラスでいじめられて学校を去る事を「敵前逃亡みたいで後ろめたい」と生きる楽さを選ぶ事を躊躇します。

 

そんなまいに対しおばあちゃんはこう言いました。

 

「その時々で決めたらどうですか。自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う必要はありませんよ。

 

サボテンは水の中に生える必要は無いし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、誰がシロクマを責めますか」

 

人間…特に日本人は、苦しい事があると「いやいや、ここで逃げちゃいけない。もっと頑張らないと。我慢しないと」と踏ん張ってしまいます。

 

学校に馴染めない子供もそうですが、ブラック企業に入ってしまった大人も「いやいや、ここで辞めたら駄目だ」と踏みとどまってしまいます。

 

このおばあちゃんの言葉は、現代に生きるすべての人に今必要なものなのではないかと感じました。楽に生きる事は逃げる事でも、悪い事でもないんですよね。

 

この言葉は、多くの人に救いを与える言葉のような気がします。

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