• 夏目漱石『吾輩は猫である』の猫は最後に

夏目漱石『吾輩は猫である』の猫は最後に

小説
夏目漱石『吾輩は猫である』の猫は最後に

吾輩は猫である感想

 

「これってなんで猫なの?」

こんなシンプルな自分の中の疑問が、意外と深い問いかけだと思うのです。

 

なぜ、猫なのか。そこを掘り下げていくと、この小説を様々な角度から楽しめると思いました。

 

猫が見ている人間達は、まさに漱石が見ている人間達。

名前のない猫の人間観察から浮かび上がってくる人間の滑稽さが、この作品のメインであり軸となっています。

 

日がな一日寝ているだけと思っている猫に、逆に鋭く観察されているということが何より皮肉ですしね。

 

また、漢詩や落語などの仕掛けが織り込まれていたり、風刺がきいた人間模様が描かれていたりするので、歳を重ねてから読むとさらに味わい深くなる気がします。

 

古典作品ならではの取っつきにくさはありますが、そこさえクリアすれば、あははと笑い飛ばしながら読むのがベストではないでしょうか。

 

『吾輩は猫である』著者:夏目漱石 324ページ

 

あらすじ

 

“明治期の文学者、夏目漱石の最初の長編小説。初出は「ホトトギス」[1905(明治38)年〜1906(明治39)年]。1905年10月上篇が刊行されると20日間で売り切れたという。中学教師の珍野苦沙弥の家に飼われる、名前のない猫「吾輩」の目で、珍野一家とその周囲に集まる人々や「太平の逸民」の人間模様を鋭く風刺し、笑いとばす。落語のような語り口に乗せたユーモアは多くの読者を集め、夏目漱石の小説家としての地位を確立する記念碑的な作品となった。 ”(引用:Amazon.com)

 

 

さすが名作と言われる作品、100年以上経った今でも面白いです。この作品が最初に世に出たのは1905年…。100年前の小説で笑ったりできるってすごいと思いませんか?夏目漱石が文豪と言われる所以、そして素晴らしさがよくわかりました。

 

物語は猫の目線で進んでいきます。ですが、その全てが想像で書かれたものではなく、漱石自身が人間や社会に対して思っていることを反映させているのだと所々で感じます。

 

「猫」というワンクッションを置くことで、より客観的に現実を捉えようとしたのかもしれません。

 

さらに猫の目線だと、人間の滑稽さがはっきりと伝わってくる気もします。違う生き物を見る目は自然と厳しくなるのかな、と。

 

でも、その猫に任せたこと自体が、作品の一番のユーモアかなと思いました。

 

登場人物がかなりリアルなことも理由の一つかもしれません。漱石がどんな風に人間と向き合い、人間観察をしていたのかを伺い知ることができます。どのキャラクターも強烈で印象的です。

 

ジャンルとしては古典ですが、ストーリーもユーモアも、少しも古びていないところが何とも不思議です。それはきっと、どれだけ時代が流れても、人間というものは変わらないということの表れなのでしょう。

 

コミカルな中にも、作品の奥に漱石の哲学や問いかけがあります。この先もずっと日本人に読み続けられる小説です。

 

 

古典文学のユーモアは現代には通用しないと思っている人。はっきりとした起承転結を期待している人。

 

物語のキモ・ネタバレ

 

・ひとつずつが完結している11話が収録されている。

 

・語り手は、中学教師・珍野苦沙弥に飼われている名前のない猫。珍野家やその周りの人々を皮肉たっぷりに観察する。

 

・ラストが衝撃。猫はビールに酔っ払い、甕に落ち、水死してしまう。

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